てふてふさんぽ

ど田舎のぐうたらフリーランス・デザイナーの備忘録とゆるふわ旅日記、ときどきフィギュアスケート

【七尾城跡おすすめ城攻めコースを往く:其の三】三の丸〜二の丸〜九尺石〜桜馬場跡〜遊佐屋敷跡

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七尾城跡(能登)

「七尾城跡おすすめ城攻めコース」今回は「二の丸」へと攻め登ります。

「七尾城跡おすすめ城攻めコース」のルートは、

  1. 本丸駐車場
  2. 調度丸跡(ちょうどまる)
  3. 旧大手道(きゅうおおてみち)
  4. 樋の水(とよのみず)
  5. 安寧寺跡(あんねいじ)
  6. 三の丸跡
  7. 二の丸跡
  8. 九尺石
  9. 桜馬場跡
  10. 遊佐屋敷跡
  11. 本丸跡
  12. 本丸外枡形
  13. 野面積み五段石垣
  14. 本丸駐車場

というコース。

なんとか「三の丸」までたどり着いたので、次なる曲輪「二の丸」へと歩みを進めます。

三の丸から二の丸の間の大堀切

七尾城跡

七尾城の曲輪の中でも最大規模を誇る「三の丸」。

七尾城では「三の丸」と「二の丸」の間には大きな堀切があり分断されており、繋がってないのです!

かつては吊り橋で繋がっていたらしいんですけどね。

七尾城跡(能登)

というわけでせっかく登った「三の丸」を降り、「二の丸」を目指します。

七尾城跡(能登)

三の丸を降りて二の丸へと向かう道がまた急。

そして狭い。

七尾城跡(能登)

すぐそこは崖。

足踏み外したら一気に滑り落ちそう……

七尾城跡(能登)

はい、やっと下り切りました。

ちょうどここが二の丸と三の丸の間の堀切の底ですかね。

深い。

そして結構キッツイ。

やっとこ降りたけど、ここからまた登るんだよ。

まぁそれが山城なんですけどね。

山城攻めには体力も必要だ。

二の丸と三の丸の堀切の幅は約40mあるらしいよ。

七尾城跡(能登)

さて、二の丸目指して階段を登ります!

七尾城跡(能登)

だいぶ急です!

かなり辛い!

足がパンパンになってきます。

でもここを登り切れば「二の丸」です!

[七尾城攻め]⑦ 二の丸跡

七尾城跡(能登)

七尾城・二の丸到着〜。

いやー高低差がキッツイ。

七尾城跡(能登)

二の丸跡には「史跡 七尾城跡」の案内板もありました。

史跡 七尾城跡

昭和9年12月28日指定 文部省告示第二三九八号

七尾城は、室町幕府の将軍を補佐する管領職を勤めた畠山氏の有力庶流として、応永15年(1408)に独立した能登畠山氏(能登国守護)が、戦国時代(一六世紀初頃)に能登府中(守護所)にかわる新たな拠点として築いた山城です。
七尾城は、標高約300mの山頂部に所在する本丸を中心として、北側の山麓までのびる尾根一帯を造成して、曲輪(くるわ)(屋敷地)を多数築いています。
こうした、曲輪が築かれている尾根が七つ(筋)あることが、七尾の地名の由来と言われております。

現在地は、七尾城の中心部北端に位置する「二の丸」と呼ばれる曲輪です。本曲輪は尾根を大規模に造成し、南側斜面に石垣を二段積上げておりますが、このような造成段による曲輪を計画的に多数連ねていることが七尾城の特徴で、その規模と構造は、国内でも屈指とみられています。
また、七尾城の麓には京都の禅僧が天文13年(1544)に記した『独楽亭記(どくらくていき)』にみる、千門万戸の家々が軒を連ねる城下「七尾」が連続して形成されていたことが明らかにされ、山上の山城と山下の城下が一体となる北陸を代表する戦国都市であったことも確認されています。国宝「松林図屏風」を描き、画聖とうたわれた長谷川等伯は、天文8年(1539)に京風の畠山文化が開花する七尾に生まれ、その才能を育んでいます。
平成18年4月には、県内では金沢城とともに「日本100名城」に選ばれています。

七尾城跡(能登)

七尾城の二の丸は、本丸に次ぐ第二の拠点。

尾根の分岐点に築かれていて、二の丸の周囲をたくさんの曲輪が取り巻いていたらしい。

七尾城跡(能登)

三の丸や城下を見張ることができるように、二の丸の北側の先端には櫓台があったそう。

案内板がある近くが櫓台跡。

七尾城跡(能登)

さすがに4〜500年も経つと木々が生い茂っていて、視界が遮られてはいますが、でも確かに七尾城下はよく見えそう。

三の丸は木々に遮られてよくわからなかったけど、位置的には十分見えるだろうなという感じ。

七尾城跡(能登)

二の丸の復元CG。

赤丸が櫓台跡のあたり。

[七尾城攻め]温井屋敷跡

七尾城跡(能登)

二の丸から本丸方面へと石段を降りると、2段組の石垣があります。

七尾城跡(能登)

そのさきが畠山氏を補佐する八臣(四臣四家)の1人の、温井氏の屋敷跡があった場所。

七尾城跡(能登)

このような感じで進んでおりますよ。

七尾城跡(能登)

石垣の上が二の丸ですね。

七尾城跡(能登)

なかなか立派な石垣。

[七尾城攻め]⑧ かつて大手門だったかもしれない九尺石

七尾城跡(能登)

温井屋敷跡からさらに少し進んだ先、右手、西側の方に「九尺石」があります。

七尾城跡(能登)

こちらですね。

七尾城跡(能登)

城の要石で、石の大きさは横幅が9尺(約2.7m)あり、「九尺石」というらしい。

 

七尾城には本丸に至る道筋が尾根沿いに何本もあったそうで、当時はここに大手門があったんじゃないかという説もある。

発掘調査が行われてないので内枡形虎口と断定はできないらしいけど、虎口に巨石を置くというのはよくあることなので、大手門なんじゃないかなぁという感じですね。

入り口に大きな石を置くことで権力を見せることができるわけですね。

 

大谷川からこの谷を登ってくるのが新大手道だそうです。

新大手道の方は柵がされていたので立ち入れないみたいですね。

七尾城跡(能登)

枡形虎口かなぁ……という感じではあるけど、巨石であることに間違いはない。

でかい。

[七尾城攻め]⑨ 桜馬場跡

七尾城跡(能登)

さらに歩みを進めて「桜馬場」へ。

七尾城跡(能登)

この辺りはだいぶ歩きやすい。

七尾城跡(能登)

桜馬場跡は東西45m、南北25mの広さを持つ曲輪。

軍馬の調教をおこなった場所、つまり「馬場」だったといわれています。

七尾城跡(能登)

なるほど、確かに馬の調教にはちょうどいい広さなのかな。

[七尾城攻め]⑩ 遊佐屋敷跡

七尾城跡(能登)

桜馬場の隣、石垣の向こう側は「遊佐屋敷(ゆさやしき)跡」。

七尾城跡(能登)

今は草木が生えるのみですが、

七尾城跡(能登)

この曲輪は、本丸のすぐ西側に接していて、七尾城の中心部にあるため、城主に次ぐ守護代・遊佐氏の屋敷跡があったとされる場所。

七尾城跡(能登)

遊佐屋敷の復元CD。

立派だなl。

そしてほんとに本丸に接してるんだね。

七尾城跡(能登)

そしていよいよ本丸へ!

あの階段の先が上杉謙信も絶賛したという絶景を誇る七尾城本丸跡!

続く!

七尾城跡へのアクセス

能登山城・七尾城

名称 史跡 七尾城跡
所在地 〒926-0031 石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町入会地大塚14-1、2-4、15-2
駐車場 あり
アクセス JR七尾駅から循環バス「まりん号」東回り「古屋敷町」バス停下車、徒歩約40分
TEL 0767-53-8437(七尾市スポーツ・文化課)