【滋賀】竹生島にある国宝『唐門』は豊臣秀吉時代の大阪城の遺構として現存する唯一のもの

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竹生島・舟廊下

竹生島の見どころといえば、秀吉の大阪城の唯一の遺構とも言われる国宝『宝厳寺唐門』!

さらに唐門から続く重要文化財の『観音堂』と『舟廊下』!

 

なんですけどね……

豊国廟の極楽門を移築した国宝『唐門』

竹生島マップ

竹生島に上陸し、165段の石段(祈りの階段)を登り、宝厳寺本堂参拝。

そこから三重塔へ行き、絶景なる景色を眺めたらば、今度は階段を下り、やってきました国宝『唐門』!

 

この『唐門』、なんとあの太閤秀吉さんが建てた大阪城極楽橋の一部で、現存する唯一の大阪城の遺構と言われてるんです!

 

大阪城にあった極楽橋が豊国神社に移築されたということが、醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に記されているらしい。

慶長3年(1598年)太閤秀吉が亡くなられた後、秀吉の遺言により阿弥陀ヶ峰の中腹に埋葬されたんですね。

その時に秀吉を祀る神社や廟も建てられていて、それが豊国神社豊国廟

 

しかーし!

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣と、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣豊臣家滅亡

そして徳川家の命で、豊国神社も豊国廟も破壊されてしまい明治時代に再建されるまで放置され荒れ果てていたんですねー。

いやぁ戦国時代って、せつないねー……

 

豊国廟が壊される前、慶長8年(1603年)、大坂冬の陣より前ですが、もうこの頃には徳川の威光が強まってたんでしょうね。

秀吉の息子、豊臣秀頼が片桐且元に命じて豊国廟の『極楽門』を竹生島に移築させたのです。

 

つまり竹生島にある『唐門』は

大阪城・極楽橋

豊国神社・極楽門

竹生島・唐門

という風に移動してきたんですね。

 

現在大阪にある大阪城は、実は秀吉が建てたお城ではないんですねー。

大坂夏の陣で焼失した大阪城の上に土を盛って、新たに徳川の城として徳川家が建てたものなんですよ、いまの大阪城は。

 

つまり秀吉時代の大阪城の遺構として残ってるものは、この竹生島に移されたという『唐門』だけ!と言われてます。

絢爛豪華な桃山時代を代表する建築物なのです。

 

ちなみに、なんと遠くヨーロッパはオーストリアのエッゲンベルグ城にて『大坂城図屏風』が平成18年に発見されたそうな。

『大坂城図屏風』の絵の中に大坂城の本丸北方に架けられていた『極楽橋』が描かれているんだそうです。

西国三十三所の第三十番札所『観音堂』

秀吉時代の大阪城が垣間見れる国宝『唐門』の後ろにあるのが『観音堂』。

ご本尊は千手千眼観世音菩薩で、西国三十三所の第三十番札所でもあります。

 

西国三十三所というのは、京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・岐阜にある観音信仰の霊場33箇所の総称で、日本で最も古い巡礼行。

そして西国三十三所巡礼が「御朱印」のルーツでもあるよ。

 

竹生島の観音堂は『唐門』の移築と同じ慶長8年(1603年)に建てられたそう。

唐門と一緒に豊国廟から移されたんじゃないかとも言われてます。

こちらの観音堂は重要文化財に指定されてるよ。

 

観音堂のご本尊の「千手千眼観世音菩薩」は、宝厳寺本堂の本尊・弁天像と同じく秘仏!

ご開帳されるのは60年に一度だけ!

次回は2037年です!

工事中で唐門も観音堂も見れなかったよ

竹生島・舟廊下

太閤・秀吉が建てたという大阪城極楽橋の一部で、かつ現存する唯一の大阪城の遺構!

桃山時代を象徴するという唐破風はきっと見ごたえ抜群であろう!……

 

ってワクワクするじゃないですか!

なんだけどね……

残念ながら竹生島を訪れた2019年の8月は保存修理工事真っ只中でして……

ブルーシートと工事の柵に覆われて全貌はまったくもって見れなかったのでありました……

観れたのは、ちらとのぞく破風の一部とかね。

でもきっとこれ、今から絢爛豪華に彩色されるんだろうな……まぁある意味貴重といえば貴重な様を見れた、ということにしよう。

 

竹生島の保存修理工事は平成25年から31年までのなんと6年!という大事業。

その前の全体工事は昭和21年というから、かなり劣化も激しく金メッキが剥がれたり色も剥げ落ちたり、なんならひび割れたりとしていたそうで。

 

よし!ここらで一気に修復しよう!ってなったんでしょうね。

  • 唐門
  • 観音堂
  • 舟廊下

これらの檜皮屋根の全面葺き替え!

彩色・漆塗りの塗り直し!

飾り金具の鍍金メッキ仕上げ!

などなど当時の美しさを取り戻す一大事業!

 

という工事まっさかりの中、おとずれてしまったんですね〜竹生島に。

工事は2020年3月末で工事を終えたということなので、今はきっと美しい姿を取り戻した唐門や観音堂が観れるはずです。

なで仏のおびんずるさん

竹生島・舟廊下

工事中の唐門、観音堂に入ると目の前におびんずるさんがいらっしゃいました。

工事中!って感じのベニア板の前においでなさいますが、本来は観音堂の中においでなさるそうです。

 

おびんずるさんは、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ) というお釈迦さまのお弟子さん。

自分の体の悪いところと、おびんずるさんの同じところを撫でると治ると言われている、いわゆる「なで仏」ですね。

 

だいぶ古く壊れやすくなってるようで、「触れる際は優しくお撫でいただきますよう」と注意書きがありました。

確かに、だいぶツルッツルというか、色もかなり剥落してるというか……

 

だいぶお疲れのようでちょっとためらいつつも、自分も肩こり頭痛が激しいので、肩から首のあたりをやさし〜く撫でてきました。

秀吉の朝鮮出兵時に使われた船で作られた『舟廊下』

竹生島・舟廊下

唐門、観音堂から都久夫須麻神社(竹生島神社)へと続くは、これまた重要文化財の『舟廊下』!

 

重要文化財でいいんだよね?

上に国宝って書いてるけど……

ちらしにもホームページにも重文って書いてあるしね!

 

こちらの舟廊下、渡り廊下ですね、も唐門と同じく慶長8年(1603年)に建てられたそうです。

この廊下、なんと豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に使用したという御座船(ござぶね)の「日本丸」の船櫓を利用して作られているのだとか!

あ、御座船というのは天皇や公家、将軍、大名などの貴人、いわゆるやんごとなきお方が乗る豪華船のことです。

船櫓(ふなやぐら)は、舟を漕ぐための道具のこと。

屋形船とかで船頭さんがギーコギーコと動かしてるアレですね。

 

そんな舟の部材を使って作られてるから『舟廊下』と呼ばれてるそうです。

竹生島・舟廊下

船を材料に使ったと言われれば、なんかそんなような感じに見えます。

舟っぽい。

 

ここはねー工事中だけど通れました!

竹生島・舟廊下

舟廊下も観音堂も結構な崖地、というか急斜面に建ってるので床下は舞台造りと呼ばれる構造になってるそうです。

竹生島神社からの帰り道にその構造が見れますよ。

竹生島

こんな感じですね。

清水の舞台とかもこんな感じで組まれてますよね。

舞台造りというんですね。

崖造とか懸造りとも言うそうです。

 

それにしても、唐門といい舟廊下といい、ずいぶんと豊臣秀吉とゆかりの深い建物が多いですね。竹生島は。

まぁ長浜自体が、秀吉が初めて一国一城の主になった場所でもありますしねぇ。

所縁が深いのかな? 

 

そしてこの舟廊下の先はいよいよ都久夫須麻神社(竹生島神社)

 

竹生島・唐門・舟廊下の基本情報とアクセス

竹生島・舟廊下

名称 唐門(からもん)Karamon
観音堂、舟廊下
創建 慶長8年(1603年)
御本尊 千手千眼観世音菩薩(観音堂)
ご利益 災難除け、延命、病気治癒、等
御朱印 あり(納経所にていただけます)
所在地 〒526-0124 滋賀県長浜市早崎町竹生島
拝観時間 9:30〜16:30(船の就航時間による)
納経所 9:30〜16:30(船の就航時間による)
定休日 船の運航状況による
駐車場 なし(フェリー乗り場にあり)
アクセス フェリー(長浜港・今津港・彦根港)
TEL 0749-63-4410
URL https://www.chikubushima.jp

 

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