【金沢観光】2棟の足軽屋敷がある「足軽資料館」清水家は足軽の生活が再現されてるよ

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金沢市足軽資料館清水家

「金沢市足軽資料館」は、金沢の人気観光地の1つ・長町武家屋敷界隈にあります。

加賀藩の足軽屋敷が2等移築再現されていて、展示内容・資料などとても充実しているのですがなんと無料で公開されているのです!

加賀藩初代藩主・前田利家公とその正室・お松の方を祀っている「尾山神社」からも徒歩約10分ほどの場所にあるので、ぜひこちらも訪れておいて欲しい場所です。

 

前回の記事「【金沢観光】足軽資料館は無料なのに展示資料の充実ぶりがすごい – てふてふさんぽ」で、足軽資料館についてや、加賀藩の足軽について、そして足軽資料館に移築された内の高西家を訪れた様子を紹介。

今回は残るもう1棟・清水家を訪れます。

清水家の方では、加賀藩の足軽の生活ぶりが再現されていて、より実際の足軽の様子が垣間見れる展示となっておりました。

金沢市足軽資料館とは

金沢市足軽資料館

「足軽資料館」は、加賀藩の足軽が暮らした足軽屋敷2棟(高西家・清水家)を移築再現した建物で、屋敷内には加賀藩の足軽の仕事内容や生活ぶり、まぁまぁリアルな年収などなど……

足軽についての資料がてんこ盛りの資料館。

しかも無料で公開されております。

金沢市足軽資料館清水家

開館時間は朝9時半から夕方5時まで、無休、無料!

徒歩圏内には長町武家屋敷や尾山神社、金沢城もあります。

無料とは思えぬ充実ぶりの場所です。

 

www.tefutefusanpo.net

足軽屋敷・清水家

金沢市足軽資料館清水家

訪れた時、ちょうど清水家の方は外観の修築中で足場が組まれていた。

2棟の足軽屋敷を囲むように周りにはTHE武家屋敷な土塀があるので、「足軽資料館」の場所はすぐにわかると思います。

尾山神社正面の道を長町方面に下るとT字路に突き当たるのでその左の角です。

金沢市足軽資料館清水家

では清水家へとお邪魔します。

金沢市足軽資料館清水家

清水家も、高西家と同じく実は平成初期まで実際に住居として使われていた建物なんです。

しかも清水家は藩政期以来、代々足軽の子孫として受け継がれてきたという由緒正しき足軽屋敷。

なので足軽関係の文献や資料が残されているのですよ。

典型的な武家造りの足軽屋敷

金沢市足軽資料館清水家

こちらが清水家の間取り。

ちょっとボケてて見にくいですが……

 

玄関を入るとすぐに「玄関の間」があり、お客さんはここを進み「座敷」へと通されます。

そして右側には「流し」→「茶の間」→「納戸」→「鍵の間」があり、右側の空間はご飯食べたり内職したり、寝たりと家の者が暮らすTHE生活空間。

 

左側が接客用の空間で、

右側が生活用の空間と完全に分けられているんですね。

 

お客さんが右側の生活空間に立ち入ることもないですし、

座敷も、客人が来た時だけ家人も座敷を使うことはほとんどないらしい。

座敷の横に客人用の「厠」もあるので、トイレも家人と客用で分かれてるんですね。

玄関&玄関の間

金沢市足軽資料館清水家

清水家の玄関には、足軽の暮らしぶりも再現されているだけあって、なんというか生活感があります。

まぁ平成2年まで住居として使われていただけあってその名残もあるんでしょうか。

江戸時代、雨の日に使う笠と蓑(みの)もあった。

ちなみに蓑の横にある標語、

「弁当忘れても傘忘れるな」

は、石川県人はほぼ知っている標語ですね。

 

他県に比べて石川県はめちゃくちゃ雨が多い。

朝晴れてても昼、夕方には雨が降るなんてことはよくある。

つまり傘は必需品なわけです。

昔は雨風しのげる場所も今よりずっと少なかっただろうし、大変だっただろうなぁ。

 

あ、玄関にある「厠」は家人が使う用のトイレですね。

清水家の「厠」は、利用できるように今のトイレにリフォームされてました。

江戸のトイレを見たい場合は、隣の高西家へ。

金沢市足軽資料館清水家

そして玄関入ってすぐ目の前の「玄関の間」。

「座敷」へと通じる畳敷の廊下みたいなものか?

金沢市足軽資料館清水家

とはいえ、足軽屋敷を訪れる客人で奥の「座敷」まで上がるのは同じ身分の人たちだけだったとも言われてるらしい。

というのも小頭以上の身分になると使いの者が来て、玄関で用を済ませて帰ることがほとんどだったとか。

確かに使いの者は座敷まで上がらないわなぁ。

 

行商とかは、玄関を使うことはないので、台所の勝手口から出入りする。

となると、必然、玄関を使って座敷へと上がるのは同じ身分のもの、となるわけか。

客人を迎えるための座敷&縁側

金沢市足軽資料館清水家

「玄関の間」の先にある「座敷」。

お客様をお迎えするための部屋ですね。

座敷の奥は縁側で、奥の木戸を開けるとその向こうには庭があります。

金沢市足軽資料館清水家

清水家の「座敷」には床の間に掛け軸が飾られ、左棚には仏壇が設置されてます。

実際に使われていた?かもしれないものがそのまま飾られるとやはり生活感というか、リアルに感じられますねぇ。

 

ちなみに掛けられている掛け軸は天神さま・菅原道真公でした。

天神さま(天満宮)といえば学問の神様として有名ですが、加賀藩においては、道真公は前田家の先祖とも言われておりまして、大事な意味合いも持つのです。

前田家の家紋は『梅鉢紋』なのですが、それは道真公が梅花を愛でたからとかなんとか……

金沢市足軽資料館清水家

足軽屋敷の座敷は、先ほども触れたように身分の高い人がくることはほぼなかったので、気軽な接客風景だったらしい。

天気がいい日は当然、雨戸を開け放して庭を眺められるようにはなってますが、足軽屋敷の庭は、観賞用というか、自給自足用?

この日は雪が積もっていて寒かったためか雨戸は閉められてましたが、足軽屋敷の庭は程よい広さがあり、野菜を植える畑や無花果や柿などの木が植えられていたらしいよ。

金沢市足軽資料館清水家

土縁の方に出ると座敷の奥に客人用の厠。

金沢市足軽資料館清水家

厠まで分ける徹底っぷりはすごいな。

生活空間の納戸

金沢市足軽資料館清水家

そして座敷の右隣にあるのが「納戸」。

金沢市足軽資料館清水家

襖の上に、薙刀?があった。

結構長いよね。

金沢市足軽資料館清水家

こちらが「納戸」。

今だと納戸と言われると物置部屋みたいなイメージですが、当時の「納戸」は、寝室として使ったり、内職や勉強したりする場所。

当然ながら荷物も置いてたりするのだから、実際に物を置かれたとこを見るとまぁ狭いよね。

ここで家族みんな一緒に寝起き。

うーんちょっとキツイな。

金沢市足軽資料館清水家

まぁでも時代劇なんかでよく見ますね、こういう光景。

足軽じゃなくて町人だったりするけど、布団並べて寝てるよね。

金沢市足軽資料館清水家

清水家には「納戸」の奥に「鍵の間」もありました。

鍵の間

金沢市足軽資料館清水家

納戸での収納や寝起きが厳しくなってくると「鍵の間」が付与されたそうで。

まぁ要するに増築ですね。

日当たりもいいので、家人は日中はこの鍵の間で、内職の玩具作りや糸紡ぎをしたり、作法書などを読んだり勉強したり。

子供たちも内職の手伝いをしたり、そして夜になると子供たちはここで寝ていたんだそうです。

金沢市足軽資料館清水家

納戸よりもちょっと広いかな。

「鍵の間」には、ここ足軽屋敷の清水家に残っていた文献や、資料が展示されてます。

茶の間

金沢市足軽資料館清水家

「鍵の間」から「納戸」に戻り、「茶の間」へ。

金沢市足軽資料館清水家

茶の間は、食事をしたり一家団欒の場所ですね。

今でいうダイニングかな。

金沢市足軽資料館清水家

食事は箱膳という食器をしまう箱を並べてとったそう。

江戸初期では、1日の食事は一汁一菜で、朝夕2回だけ。

1日3食になるのは江戸中期以降らしいです。

あま

金沢市足軽資料館清水家

茶の間で上を見上げてみてください。

屋根裏のようなちょっとした収納スペースがあります。

金沢市足軽資料館清水家

「あま」と呼ばれる屋根裏を利用した物置なのです。

足軽屋敷は平屋が原則なんだけど、冬場に備えて薪を置いたりする収納空間が欲しかったわけですね。

本来なら収納空間なんだけど、畳を敷いて居室として使った足軽屋敷もあったらしいよ。

屋根裏部屋ってなんかワクワクしますもんねぇ。

江戸の足軽もそうだったのかな?

単に部屋が欲しかっただけかもしれんが。

流し

金沢市足軽資料館清水家

茶の間の奥、玄関の横は「流し」、台所があります。

金沢市足軽資料館清水家

前庭に面してるので明かりも入るし、煮炊きの煙の換気もしやすいと理にかなった造り。

金沢市足軽資料館清水家

「流し」からみた「茶の間」。

金沢市足軽資料館清水家

ちょっと低い板敷になってるけど元々は土間だったらしい。

こんな風に味噌とか置いてあったのかな。

金沢市足軽資料館清水家

清水家の方はカマドも再現されてるのでより生活感が伝わっていいですね。

金沢市足軽資料館清水家

かまどの横にあった行水桶。

足軽関連の資料もいっぱい

金沢市足軽資料館清水家

「鍵の間」には清水家に残る足軽に関する資料が展示されてます。

 

足軽の仕事内容としては武術以外にも武家の補助とか、書状等を運搬する飛脚としての仕事や情報収集などもあったらしい。

飛脚って足軽だったんだ。

 

こちらの足軽屋敷の清水家は早道飛脚足軽の組地にあったので、飛脚のお仕事をしていたらしい。

飛脚は所要日数により呼び方が違ったらしく、金沢から江戸までの早道飛脚は大体夏季は5日間、冬場は6日間で行っていたらしいよ。

金沢から東京まで、人の脚だけで5日間か、ちょっと想像ができないけど、しんどいよな。

しかも規定の時間より早く到着したら褒美が与えられて、遅れたら減給されたらしいよ。

キッツイな。

金沢市足軽資料館清水家

これが加賀藩(金沢)から京都や江戸へ、書状や荷物を運ぶときの飛脚が利用した通路。

こうして見ると通路は、今の高速とそんな変わらない?

この距離を5日間で行くのかぁ、山越えもあるし、富山では天下の難所・親不知・子不和も通らないといけないわけだな。結構キッツイな。

金沢市足軽資料館清水家

足軽の1日は日々の公務と内職で大半が費やされるのだけど、江戸の泰平の世になると“武士の無学文盲は弁解がきかない”そうで。

足軽も最下層とはいえ武士。

つまり武士としてそれ相応の教養も身につけねばならないという……

仕事して、家計のための内職して、さらには武術だけでなく勉学にも励まねばならぬという、江戸時代の足軽、なかなか大変……

でも勤勉な足軽は時間を見つけては文学書や歴史書を読み、俳諧や和歌、漢詩集などを読み教養を深めたらしい……

すげぇ、自分にはムリやな……。

 

ちなみに足軽は名目上は一代限りなんだけど、大体は親の後を継ぐことがほとんどだったらしい。

子供がいなかったら養子を迎えたり、もしくは足軽の株を売ったり。

足軽職は株としての権利もあるそうで、後継がいない場合は足軽株を売ることもあったらしいよ。

金沢市足軽資料館清水家

これらが教養を高めるための、生花の作法や俳諧、あと水野真法という加賀藩の剣術の流派の入門書。

清水家の足軽さんは勤勉な足軽だったんだね。

金沢市足軽資料館清水家

養子縁組の許可を得るための願書などとともにあったのが、「介錯巻之外口伝覚書」。

時代劇なんかでも「切腹」の時、そばに首を打ち落とす介錯人がいますよね。

あの介錯、なんと足軽の仕事の1つだそうで。

介錯人の礼儀作法や手順を事細かく記したものなんです、この資料。

金沢市足軽資料館清水家

いやぁまさかそんな資料まであるとは。

ちょうど写真上の資料が介錯の作法を書いたやつですね。

どこに誰がいて、とか細かく書かれてますねぇ。

いやぁまさかこれも足軽の仕事だったのかぁ……

 

「金沢足軽資料館」なかなかに濃ゆい展示内容だったなぁ。

しかもこれ無料なんですよ。

足軽に興味ある人もない人も訪れてみてはいかがでしょう。

なかなかに面白い発見がありますよ。

 

足軽資料館には2棟の足軽屋敷がありますので、隣にある「高西家」を訪れるのもお忘れなく。

どちらも無料ですよ。

金沢市足軽資料館へのアクセス

金沢足軽資料館

名称 金沢市足軽資料館
所在地 〒920-0865 石川県金沢市長町1-9-3
開館時間 9:30~17:00
休館日 無休
入館料 無料
駐車場 なし
アクセス 「香林坊」バス停から徒歩約5分
問合せ 076-263-3640

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