石川県能登半島にある「七尾城跡」。
能登守護・畠山氏の居城で、室町から戦国時代に築かれた国内でも屈指の規模を誇る山城。
日本100名城にも選ばれていて、5大山城の1つでもあります。
山一つ丸々お城にした巨大な山城で、麓には城下町が栄え、当時はかなりの栄華を誇っていたらしい。
残念ながら今は石垣や曲輪跡が残るのみですが、城跡をめぐるだけでもどれほど巨大な山城であったかがわかります。
「天宮」とまで呼ばれた本丸からの眺めはそれは素晴らしいですが、やはり本丸へ辿り着くまでの道程も大事でしょう。
いくつかの記事に分けて書いてしまったけど、これから七尾城攻めへ参るかたのため、おすすめ七尾城攻めルートをまとめておきます。
- 戦国の名城・七尾城
- 七尾城攻め①:スタートは本丸駐車場
- 七尾城攻め②:調度丸跡
- 七尾城攻め③:旧大手道
- 七尾城攻め④:樋の水(とよのみず)
- 七尾城攻め⑤:安寧寺跡
- 七尾城攻め⑥:三の丸跡
- 七尾城攻め⑦:二の丸跡
- 七尾城攻め⑧:九尺石
- 七尾城攻め⑨:桜馬場跡
- 七尾城攻め⑩:遊佐屋敷跡
- 七尾城攻め:⑪ 本丸跡
- 七尾城攻め⑫:本丸外枡形
- 七尾城攻め⑬:野面積み五段石垣
- 七尾城本丸跡のみでも見応えはある
- 七尾城完全制覇コースもある
- 七尾城跡へのアクセス
戦国の名城・七尾城
七尾城は能登国の守護であった畠山氏が築いた山城。
築城時期は室町時代から戦国時代の、1400年代半ばごろ~1500年頃で、「七尾」という地名は、七尾城が築かれた松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾の七つの尾根に由来すると言われてます。
能登畠山氏は足利一門の有力家臣で、畠山基国が室町初頭に能登守護に任じられ、次男の満慶喜が能登国をもらい、能登畠山を創設。
その後、七尾城の戦いで上杉謙信に敗れるまでの169年間能登の地を治め、独自の能登畠山文化を繰り広げ、多くの文化人が京都から七尾に訪れたそうです。
天正5年(1577)に上杉謙信に敗れ、さらにその後、織田軍の前田利家が入城。利家は麓に困る山城を築き城の機能をそちらへと移した結果、七尾城は廃城となってしまったのです。
現在は建物は残っていないのですが、石垣や曲輪跡がほぼ当時のまま残っているという貴重な山城あとでもあるのです。
七尾城攻め①:スタートは本丸駐車場
麓から尾根を登る登頂ルートもありますが、そちらはかなり体力と時間が必要かと。
でも山城の広大さは十分に堪能したいということで、七尾城おすすめ城攻めコースを行きますよ。
というわけで一気に車で「本丸駐車場」までコマを進めます。
「本丸駐車場」に七尾城あとパンフレットもあります。
では「本丸駐車場」からチップ道へ。
まずここでは左手を見上げます。
ここには「本丸」と「長屋敷」を分断する大きな堀切があります。
これ、戦に備えて人工的に掘ったんですよ。すごいですよね。
七尾城攻め②:調度丸跡
チップ道を進むと弓矢などの武具を整えていた「調度丸跡」にでます。
左手に五段の立派な石垣があり、その先が上杉謙信も絶賛した眺望を誇る本丸跡ですが、ここは眺めるのみにして「旧大手道」へとコマを進めます。
七尾城攻め③:旧大手道
石段を折振り返ると、石段と石垣のコントラストが美しい。
遥なる昔、この景色を眺めながら石段を行く人々がたくさんいたんだなぁ。
石段を降りた先には僧兵が住んでいた「寺屋敷跡」があります。
平地が広がるだけですが、かつては三重塔もあったそうですよ。
七尾城攻め④:樋の水(とよのみず)
旧大手道の途中にある「樋の水(とよのみず)」。
七尾城の水源で枯れたことがないらしい。
能登沖地震の後、水量が減ったそうですが。
「樋の水」付近は視界が開けたビュースポット。
この下を木落川(蹴落川)」が流れています。
「蹴落川」ってすごい名前ですよね。なんとここ、七尾城の戦いの際、攻め入った上杉軍が籠城で飢えや疫病に病んだ人たちを崖下に蹴り落したんです。
そして川の水は落とされた人々の血で赤く染まったという……
七尾城攻め⑤:安寧寺跡
旧大手道をさらに進んだ先、「三の丸」の下あたりにあるのが「安寧寺跡」。
畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑などがあります。
「七尾城まつり」では「安寧寺祭」という慰霊祭も七尾城址保存会によって行われています。
七尾城攻め⑥:三の丸跡
「安寧寺跡」を過ぎたらいよいよ城攻めも本格化。
次なるは「三の丸跡」へとコマを進めます。
「三の丸跡」へと登る階段がなかなかに急です。ちょっときつい。
階段を登り切った先が「三の丸跡」。
広大な平野が広がっています。
七尾城の曲輪の中でも最大規模を誇り、南北110m、東西25mという広さ。
「三の丸跡」では、まず右へ進み谷を覗き込みましょう。
三の丸と二の丸を隔てる谷間・大堀切があります。この堀切も人工的に分断してるんですよ。
ちなみに平時は、吊り橋で繋いで、有事の際は橋を切り落としたらしい。
写真はちょうど二の丸と三の丸の間の堀切の下まで降りたとこです。
七尾城攻め⑦:二の丸跡
三の丸を降りて二の丸へと登る。
登ったり降ったりとなかなか大変な山城ですよ。
本丸に次ぐ第二の拠点の「二の丸」には城下を見下ろす櫓台もありました。
まぁ残念ながら今は木が生い茂りそこまで視界は良くはなかったけど。
「二の丸跡」から本丸へと石段を降りると、二段の石垣がありこの辺りには畠山氏の重臣・温井屋敷があったらしい。
七尾城攻め⑧:九尺石
温井屋敷跡の先に9尺(2m70cm)もある巨石「九尺石」があります。
ここには大手門があったとされていて、大谷川からこの谷を登ってくるのが新大手道だったらしい。
落石などもあり、新大手道の方は現在は立ち入り禁止のようでした。
七尾城攻め⑨:桜馬場跡
さらに進んだ先が軍馬の調教を行なったという「桜馬場跡」。
桜馬場の北側下には七尾城跡でも最大規模の五段の石垣があります。
ここからは見えない。
七尾城攻め⑩:遊佐屋敷跡
桜馬場の石垣の隣には城主に次ぐ守護代・遊佐氏の屋敷跡があったとされる場所。
本丸のすぐ西側に接した場所にあるのでかなり重要な場所でもあるね。
七尾城攻め:⑪ 本丸跡
いよいよ七尾城・本丸跡へとコマを進めます。
またここの石垣も立派で、雄大な景色だなぁ。
ついに本丸到達!
ここが、畠山氏が169年間眺め、上杉謙信が絶賛し、そしておそらく前田利家も見たであろう景色が眼下に広がっています。
絶景かな。
そして背後に広がるのが石動山。
あの尾根の向こうから上杉謙信軍がやってきたわけか。
七尾城攻め⑫:本丸外枡形
本丸からの下りは外枡形を通って下りましょう。ここは九尺石の大手門から続く西側の防御のため外枡形構造となっています。
この先を降りると、桜馬場や遊佐屋敷跡の後ろの方に出ます。
七尾城攻め⑬:野面積み五段石垣
桜馬場北側の五段の石垣を眺めながら、調度丸跡へと石段を降りましょう。
石段を降りたら最後にもう一度振り返ります。
いやぁなかなか勇壮な景色ですなぁ。
そして再びチップ道を行き、本丸駐車場へと戻り「七尾城攻めおすすめルート」攻略完了です。
結構上り下りありますが、所要時間は大体1時間ほどで行けましたよ。
もちろん歩きやすい服装と靴で行くのをオススメしますよ。
七尾城本丸跡のみでも見応えはある
まぁ山歩きはちょっと……という方には無理に進めませんが、どうせ山城行くなら「二の丸」「三の丸」は攻めたいとこですが、ここ七尾城跡は結構な起伏があるので体力的に厳しい方はせめて「本丸跡」からの眺めだけでも堪能しましょう。
その際は「本丸駐車場→調度丸跡→遊佐屋敷跡→本丸」といったコースですかね。
七尾城完全制覇コースもある
ちなみに七尾城跡は麓から高屋敷、長坂を経て尾根を登り、攻め上がる完全制覇コースもあります。
さすがに麓から攻め上がるのは厳しかったので行ってはおりませんが、七尾城パンフレットによると所要時間は150分ほどだそうです。
七尾城跡へのアクセス
名称 | 史跡 七尾城跡 |
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所在地 | 〒926-0031 石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町入会地大塚14-1、2-4、15-2 |
駐車場 | あり |
アクセス | JR七尾駅から循環バス「まりん号」東回り「古屋敷町」バス停下車、徒歩約40分 |
TEL | 0767-53-8437(七尾市スポーツ・文化課) |