【名古屋】熱田神宮に来たなら出世のご利益があるかもしれない「信長塀」は外せない。あと「ならずの梅」も

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熱田神宮・信長塀

熱田神宮の超パワスポ?「こころの小径」を抜け、神楽殿前に到着。

神楽殿の目の前には、これまた熱田神宮で有名な「ならずの梅」と「信長塀」があるのです。

熱田神宮の「不実梅(ならずの梅)」

熱田神宮・ならずの梅

うん、まぁね、いったの5月だからね。

そりゃ梅の花はもう咲き終わってるよね。

 

神楽殿の向かいの「西楽所」の北に高さ3メートルほどの立派な梅の木が植わっています。

樹齢は400年以上となかなかの歴史を持つ梅の木なのですが、この梅の木が有名なのは別にあるのです。

 

実はこの梅の木、毎年綺麗な梅の花が咲くのですが、なんと未だかつて一度も梅の「実」をつけたことがないんですって!

花は咲けども実はならぬ。

そのため、「不実梅・ならずの梅」と呼ばれているんだとか。

 

享禄年間(室町時代)に、室町時代の境内が描かれた『享禄古図』。その江戸期の模写が熱田神宮の文化殿に所蔵されてるのですが、その古図にも「ならずの梅」が描かれてるそうです。

かつては海蔵門(南門のあたり)の左脇に自生していたそうですが、現在は西楽所の北にあります。

www.atsutajingu.or.jp

 

「ならずの梅」は昔から有名だったようで、

『安永・天明頃の俗謡』
「ひんやれ、宮の熱田のならずの梅はやれよいとやれよいと花はさけども実はならん、しょんがゑ…」

 

などと、江戸時代には歌にも歌われていたそうです。

 

今でも名古屋で一番有名な梅の木なのかな?

 

花は毎年2月上旬頃から薄桃色の八重の花が咲き始めるそうですよ。

2月下旬から3月が見頃ですかねぇ。

熱田神宮「西楽所」

熱田神宮・西楽所

ならずの梅のすぐそばにある「西楽所」。

わかりにくいけど右端の木が「ならずの梅」です。

西楽所の奥、写真左側には「信長塀」があります。

熱田神宮

この「西楽所」は貞享3年(1686年)、5代将軍徳川綱吉が再建したもの。

毎年5月1日の舞楽神事ではここで楽が奏され、5月8日の豊年祭にはおためし(田畠の模型)が奉飾されるそうです。

あの信長が奉納した「信長塀」

熱田神宮・信長塀

熱田神宮には、あの!戦国武将・織田信長が奉納しためっちゃ立派な土塀があります。

 

なんでも、永禄3年(1560年)織田信長が「桶狭間の戦い」に出陣する際、熱田神宮を参拝し必勝祈願をされたのだとか。

結果はね、ご存知の通り、信長が今川義元を破って大勝したわけですが。

 

そのお礼として奉納されたのがこの「信長塀」なのです。

「信長塀」は日本三大土塀の一つ

熱田神宮・信長塀

この「信長塀」は「日本三大土塀」の一つでもあります。

残る2つは、

  • 兵庫の西宮神社の大錬塀(おおねりべい)
  • 京都の三十三間堂の太閤塀

 

信長塀は、土と石灰を油で練り固めて、瓦を何層にも厚く積み上げて作られてます。

何層にも重なってるのがわかるかな?

まるでミルフィーユのようですねとか言うとバチあたりかな。

熱田神宮・信長塀

そしてこの信長塀、永禄3年(1560年)に造られてから一度も崩れていないんだそう。

すごいよね。

結構な距離と大きさがあるんですよ、信長塀。

 

なので、「建築の無事」の御利益を求める人もいるのだとか。

確かにご利益ありそう。

信長の出世運にもあやかりたい

熱田神宮・信長塀

そしてやっぱ信長といえばね、出世運!にもあやかりたいよね。

なんといっても、桶狭間の戦いに勝って奉納された土塀ですよ。

 

桶狭間と言えば、当時まさか信長が大大名の今川義元に勝てるとは思ってなかった人が大多数だったでしょう。

3〜4万という大軍の今川軍に、わずか3千程の織田軍が買っちゃうという世紀の大番狂わせが起きたわけですからねぇ。

これで信長の名前は全国に轟くわけですが。そして天下人へと駆け上がっていくんですね。

 

つまり桶狭間の戦いはかなり重要な戦いだった。

その戦いの前に熱田神宮で必勝祈願。そして勝つ!

お礼に信長塀を奉納!

 

とくればそりゃあ、出世のご利益ありそう感しかないでしょう!

 

織田軍には熱田神宮の神兵も参加していたとも言われてますね。

熱田神宮に参拝したのも援助を得る目的もあったんでしょう。

今でも「熱田の神兵が織田軍に加わったから、熱田大神が雷雨を降らせて、織田に味方をした」という伝説が残ってますしね。

 

そりゃねぇ、ほぼ10倍の敵に勝利したとなったら、神仏の加護があったと思いたいよね。

熱田神宮・信長塀

信長塀の間から見た神楽殿。

信長塀は実はここだけではなくて、本宮を囲むようにかなりの長さがあるんです。

 

造られた当時は全長約400メートルもあったそうですよ。

今では縮小されて、120メートルほどと短くはなってますが。

それでも当時の面影は十分感じられると思います。

なんせ造られた当時のままってのがすごいよね! 

 

内天神社と六末社

熱田神宮

信長塀の向かいに小さな社が整然と並んでました。

内天神社と六末社だそうです。

境内の案内図を見ながらじゃないとどこに何があるのかわからなくなってしまう。

境内図、大事ですよ。

 

内天神社には、医学の神様の「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が、

六末社にはそれぞれ

  • 乙子社(おとごしゃ)…弟彦連
  • 姉子神社(あねごじんじゃ)…宮簀媛命
  • 今彦神社(いまひこじんじゃ)…建稲種命
  • 水向神社(みかじんじゃ)…弟橘媛命
  • 素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)…素盞嗚尊
  • 日長神社(ひながじんじゃ)…日長命

が祀られています。

 

素盞嗚尊はまぁ有名ですね。

宮簀媛命(みやずひめのみこと)は日本武尊の妻。

建稲種命(たけいなだねのみこと)は宮簀媛命の兄で、日本武尊の東征に付き従う。

弟橘媛命(おとたちばなひめの尊)も日本武尊のきさきで、東征に同行するも途中、海の神を鎮めるために海に身を投じる。え?

弟彦連と日長命はあまり聞いたことないのだけど、尾張氏の神様と、知多半島を開拓した神様らしいです。

 

いずれもそれぞれ熱田神宮に関係する神様ですね。

 

この神様はこーゆー神様で、こんなご利益があるよって教えてくれる神様データベースロボが欲しい……

 

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