【金沢】加賀藩筆頭家老・本多家の「松風閣庭園」は兼六園よりも古く苔むした日本庭園。庭園めぐりにオススメ

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金沢 松風閣庭園

金沢21世紀美術館からも程近いMRO北陸放送の社屋の裏手にある「松風閣庭園」。

ここは加賀藩の筆頭家老でもあった本多家の庭園です。

いわゆる武家庭園ですかね。

 

この松風閣庭園、実は「兼六園」よりも古く、しかも「兼六園」作庭の元にもなっているんだとか。

しかも入園は無料なのです。

これは行ってみないとですね!

兼六園よりも古い松風閣庭園

金沢 松風閣庭園

「松風閣庭園」は藩政期初期、1616年ごろから作られた庭園。

2000坪を超える広大な敷地に作られたお庭です。

金沢市指定文化財にもなってます。

金沢 松風閣庭園

松風閣庭園は、もともと自然にあった沼地と森の自然地形を生かして作られた池泉回遊式の庭園。

実は「松風閣庭園」は、私有地であったことや北陸放送の敷地にあるため、非公開の庭園だったんです。

庭園が一般に公開されるようになったのは、隣接する鈴木大拙館がオープンした2011年とまぁ割と最近のことなんですね。

兼六園は松風閣庭園を模して作られた?

金沢 松風閣庭園

写真だとなかなかわかりにくいですが、松風閣庭園の池は「霞ケ池」と名付けられていて、「蓬莱島」という浮島もあるのです。

奥に見える屋敷は「松風閣」です。

 

そして、金沢の誇る観光名所「兼六園」にも「霞ケ池」と「蓬莱島」があるんです〜。

家臣が模して小さく作ったのかなと思うけど、作庭時期を見ると「松風閣庭園」の方が古いんですね。

「松風閣庭園」の作庭が始まったのが1616年。

そして「兼六園」の作庭が始まったのが5代藩主・前田綱紀の頃の1676年から。

「兼六園」の方があとなんですねー。

となると、多少は参考にしたのかもしれませんね。

 

ちなみに「兼六園」は歴代藩主が手を加え続け、最終的に今の形になったのは、13代藩主・斉泰が眞龍院の隠居所として巽御殿(今の成巽閣)を建てた1863年頃だそうです。

およそ200年近くかけて作られたんだね、兼六園は。

加賀藩の筆頭家老・本多家

この「松風閣庭園」を作った本多家は、加賀藩の筆頭家老であります。

庭園のある一帯は、藩政期には本多家の下屋敷があった場所なんです。

 

加賀藩・本多家の初代は本多政重。

父親は、かの徳川家康の軍師・謀将と呼ばれた本多正信!

その次男であります。

江戸の本多家の分家ということになりますかね。

『加賀八家』の一つに数えられ、重臣として江戸時代を通じ加賀百万石を支えました。

 

ちなみに、本多家の禄高はなんと5万石。

本多政重の最盛期には7万石を誇ったそうなので、下手な大名より大きな石高を持っていたという……。

本多家の上屋敷があったのは、今の石川県立美術館や歴史博物館のある一帯で、中・下屋敷は今の松風閣庭園や中村記念美術館のあるあたりだそうです。

かなり広大な土地を与えられてたんですねー。

 

今でもこの辺は「本多の森」と呼ばれてますし、金沢21世紀美術館や歌劇座のある大通りは「本多通り」と呼ばれてます。

 

松風閣庭園へは鈴木大拙館との連絡口から

金沢 松風閣庭園

この「松風閣庭園」は、場所としては本多通りに面した北陸放送MROの社屋のすぐ裏にあるんですが、残念ながらMROの社屋を通り抜けられないんです。

なので「鈴木大拙館」との連絡口から入園することになります。

金沢 松風閣庭園

通り抜けができないので、鈴木大拙館の連絡口から中に入り、帰りはまた入り口まで戻ってくることになります。

庭園の入園は無料なんですが、17時で門が閉まります。

苔が見事な松風閣庭園

金沢 松風閣庭園

中に入ると、見事に苔生した庭園が広がります。

ですので、苔を傷つけないためにも、歩けるのは飛び石の上だけとなっております。

雨が降った後など、石が濡れていると滑ることもあるので気をつけて歩きましょう。

金沢 松風閣庭園

飛び石の上を歩いていくと何やら建物が。

金沢 松風閣庭園

茶室かな?

 

本多家の2代政長は、金森宗和の息子・茶道宗和流2代金森方氏の門人でもあったそう。

松風閣庭園は、金森方氏の指導を受けて策定されたとも言われてます。

 

まぁこの建物がいつのかはちょっとわからなかったんですが。

陶芸工房『北陶』がある

金沢 松風閣庭園

松風閣庭園を散策してると、なんと敷地内に陶芸工房がありました。

北陶』という陶芸工房で、体験教室などもあるみたいです。

日本庭園の中での陶芸教室。楽しそう。

この工房の建物は、築300年以上経った「刀蔵」を改装した建物だそうです。

広坂御広式御対面所を移築した「松風閣」

金沢 松風閣庭園

池の周りをぐるっと廻って、入り口とちょうど対岸くらいかな。

金沢 松風閣庭園

池泉の湖畔に建つ「松風閣」。

金沢 松風閣庭園

「松風閣」は、本多家の上屋敷にあった「広坂御広式御対面所(ひろさかおひろしきごたいめんじょ)」を移築したもの。

 

加賀藩13代藩主斉泰の妹・寿々姫(すずひめ)が、加賀八家筆頭本多家へ輿入れする際に天保3年(1832年)に斉泰によって本多家上屋敷に建てられたんだそう。

御広式は姫御殿と呼ばれていたらしい。

 

寿々姫は本多家第9代当主政和(まさかず)へ嫁いで間もなく亡くなられたため建物は取り壊されたらしい。

御広式の一部で最も重要な御対面所のみ、天保4年(1843年)に上屋敷に移築され、そして、明治に入り、明治19年(1886年)にまた移築。

そして明治40年(1907年)に、今の場所に登録有形文化財の「本多家長屋門」と一緒に再移築され、その際に「松風閣」と改称されました。

そして庭園もあわせて「松風閣庭園」と呼ばれるようになったそうです。

 

「松風閣」は加賀八家のお屋敷としては唯一現存する貴重な建物だそう。

現在は国登録有形文化財で、2019年に金沢市の指定文化財にもなりました。

金沢 松風閣庭園

ただ、残念ながら「松風閣」は非公開なので中に入ることはできません。

たまーに、何かのイベントで中に入れることもあるみたいですが……

 

金沢 松風閣庭園

街中とは思えないですねぇ。

金沢 松風閣庭園

松風閣の前には白砂が広がり、庭の霞が池へと続いてる。

金沢 松風閣庭園

お屋敷の中から見たらどんな景色なんでしょうねぇ……。

庭からでも十分綺麗なんですが。

きっと屋敷の中から見ることを想定されてるだろうしなぁ。

有料でもいいから公開、してくれないかなぁ。

 

まぁ庭園が公開されたのも最近といえば最近ですからねぇ。

松風閣庭園の場所

 

所在地 〒920-0964 石川県金沢市本多町3丁目2−1
開館時間 9:30〜17:00
「鈴木大拙館」の連絡路から入るため「鈴木大拙館」が開館している時間帯のみ
入園料 無料
アクセス 「本多町」下車徒歩4分
問合せ 076-220-2469(金沢市文化スポーツ局 文化財保護課)

 

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