【名古屋】大須観音の近くの信長ゆかりの寺「総見寺」は年に一度しか参拝できない

記事内に広告を含みます

名古屋 総見寺・信長ゆかりの寺

大須観音の参拝を終え、あたりをぷらぷらと散歩していたらなにやら立派な山門を発見!

お寺かな?と近づくと「織田信長公由縁地」と彫られた石碑があるではないか!

まぁもう夕方でお寺の山門もしまってるのだけど、せっかくなので近くで仁王山を見てきました。

総見寺は織田信長の菩提寺?

名古屋 総見寺・信長ゆかりの寺

名古屋の大須観音のほど近くにある「総見寺」

臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は「景陽山」。

なので正式には「景陽山 總見寺(そうけんじ)」かな。

「総」は「總」という字らしい。

「総」の旧字体なので「総見寺」でもいいかな。

 

元々は「西明寺」という伊勢国大島村にあったお寺です。

 

天正10年6月2日(1582年6月21日)に、明智光秀に襲撃された織田信長がてらに火を放ち自害した、かの有名な「本能寺の変」が起こりました。

その後、信長の次男である織田信雄(おだのぶお・のぶかつ)は父・信長を弔うため、伊勢にあった「西明寺」を清洲に移築したのです。

その時に「総見寺」と改名して、僧・忠嶽を開山としたと。

そして名古屋城築城の際に、慶長16年(1611年)今度は名古屋へと移築されます。

 

ちなみに名古屋城築城の時に、清洲にあった武家屋敷や神社仏閣、町家など、まるっと都市を移転させたことを「清洲越し」と言います。

 

境内には織田信長公と信雄公の廟があるそうです。

しかも!寺宝には「織田信長公座像」や「旧清洲城壁画」などまさに信長ゆかりの品々があるとのことです!

 

ちなみに、明治4年(1871年)にはこの「総見寺」で日本で最初の博覧小会が開催されたんだそうです。

立派な仁王門

名古屋 総見寺・信長ゆかりの寺

う〜む是非見学したかったところだが、もう夕方なんでお寺は閉まっちゃうよね〜。

せめて山門だけでもと近づいたら、まぁ立派な佇まいですね。

両脇の仁王像がカッコいいです。

そして門の扉には織田木瓜紋。

信長ゆかりのお寺だからね。

 

門でこんなしっかりした作りってことは中も見所ありそうだなー、お昼間にこれてたらなぁ…… 

と思ってたんですけどね。

 

調べて見たらどうやらこの総見寺さん、つねに開いてるわけではないらしい。

つまり昼間にこれても見れなかったということか。

年に一度だけ開かれる

名古屋 総見寺・信長ゆかりの寺

せっかく信長の廟もあるのに、

ゆかりの品もあるのに、

表にデカデカと「織田信長公由縁地」って書いてあるくせに、

見れんのかーい!

 

と思ってさらに調べたら、どうやらある特別な日だけ門が開くらしい。

 

それは、毎年6月2日

 

そう、つまり、信長の命日

 

信長公忌法要があるこの日だけ門が開くらしい。

つまり1年365日のたった1日だけ。

 

しかも特に一般公開とか特別拝観をしているということでもないらしいんだな。

 

一応、この6月2日、門が開いていれば中に入れる、はず。

そして御朱印もいただけるそうなのだが、必ずしももらえるわけでもないらしい……

タイミングわるく人がいなかったらもらえない可能性もある、と。

 

なんつーレアなお寺やねん。

信長の菩提寺は他にもある

名古屋の「総見寺」には、息子の信雄が建てた廟があるのだから、信長の菩提寺ではあるのだけど。

信長の菩提寺は実は他にもあるんですよね。

まぁ本能寺の変で信長の遺体が見つかってないからねぇ。

 

有名なのは、

  • 崇福寺(岐阜市)…信長の側室・お鍋の方が遺品を安置し供養塔を建てた
  • 大徳寺総見院(京都市)…秀吉が建立
  • 摠見寺(滋賀県)…信長が生前に建立

とかですかね。

 

ついに「麒麟がくる」でも信長が出てきましたからね〜。

信長ゆかりの地を巡るのも楽しいかな。

 

「総見寺」の基本情報とアクセス

 名古屋 総見寺・信長ゆかりの寺

名称 総見寺(そうけんじ)SOKENJI temple
山号 景陽山
宗旨・宗派 臨済宗妙心寺派
創建 天正年中(1573〜)
御本尊 薬師如来
正式名称 景陽山 総見寺
御朱印 あり(6月2日運が良けれb)
所在地 〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須3丁目23−38
拝観時間 6月2日のみ時間はわからない
駐車場 なし(近隣にコインパーキングあり)
アクセス 地下鉄鶴舞線・大須観音駅4番出口から徒歩6分
TEL 052-201-3834
URL  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA