能登・宝達志水町で歴史探訪♪「十村役」ってなに?加賀藩十村役・岡部家邸宅で江戸時代にタイムスリップ!

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石川県の能登地方、宝達志水町にある歴史的スポット「岡部家」

のどかな田園風景が広がるこの町に、ひっそりと佇む歴史的な名家「岡部家」は、かつて加賀藩の農村統治を担った「十村役(とむらやく)」というちょっと珍しい役職を担った旧家です

少し耳慣れない言葉かもしれませんが、江戸時代の加賀藩を支える重要な役職だったのです

立派な門構えや石垣、今も残る古い建物の佇まいに、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分にもなりますよ

歴史好きの方はもちろん、ちょっと変わったローカル旅がしたい人にもおすすめのスポットです

能登・宝達志水町にある歴史スポット「岡部家」

石川県の能登地方、宝達志水町にある「岡部家」は、“十村役(とむらやく)”という加賀藩政時代に重要な役割を担った家柄です

岡部家は、地域農民と藩の間をつなぐ要職を代々務めてきました

現在も岡部家の屋敷跡が保存されていて、当時の建築様式や生活文化を今に伝えてくれます

岡部家には加賀藩主から贈られた書状や貴重な資料も残されていて、屋敷内には資料も展示されています

能登・宝達志水町にある「岡部家」は、石川県指定有形文化財にも指定されている歴史的にも貴重で、見どころのある建物です

能登・宝達志水町「岡部家」への行き方

「岡部家」があるのは、石川県羽咋郡宝達志水町荻谷という、能登半島の付け根あたり

かつては砂金が取れたという「宝達山(ほうだつさん)」の麓にあります

公共交通機関で

金沢駅からIRいしかわ鉄道「敷浪駅」から徒歩約25分(片道750円)

車で

金沢駅からのと里山海道「今浜」インターから約10分(約45分)

岡部家には向かい側に大きな駐車場があるので車で行くのがおすすめかな

公共交通機関でも行けますが、駅から結構歩きます

途中でタクシーを拾うのも、難しいかなと思うので、敷波駅の看板にあるタクシーの電話番号は絶対控えておいたほうがいいですよ

金沢からレンタカーを借りてのと里山海道や千里浜なぎさドライブウェイもドライブしつつ向かうのが個人的にはおすすめです

ただ岡部家へと続く道は、田舎によくある細い道なので、もしレンタカーで行く際は小型車や小回りのきく車がいいですよ

能登・岡部家は鎌倉時代から続く名家

能登の岡部家は、鎌倉時代の源平合戦「一の谷の戦い」で手柄を立てた鎌倉幕府の御家人・岡部六弥太忠澄を祖とする家系で、武蔵国由来の武士の末裔とされています

岡部六弥太忠澄が鎌倉幕府から功績により与えられた領地の一つが口能登(現在の石川県能登地方の入口付近)であり、そこへ親族が派遣されたのが岡部家の始まりとされています

岡部家は、元々は武蔵国に由来する御家人の末裔で、中世から近世にかけては武士から在地領主、さらに江戸時代には加賀藩の村落支配役職である「十村役(とむらやく)」を代々務めました

加賀藩十村役&加賀のお殿様の御本陣も務めた岡部家

岡部家は、江戸時代を通じて加賀藩の「十村役」を代々務めました

そしてなんと二千石を所有する豪農となり、庄屋以上の格式と広い領地を管理監督しました

江戸時代末期の嘉永6(1853)年には、加賀藩主・前田家の能登巡見の際に、藩主が宿泊される御本陣にもなりました

ちなみに行きの道中に宿泊本陣を務めたのは同じく宝達志水町にある十村役「喜多家」です

そして帰りの際に立ち寄り宿泊本陣を務めたのがこちらの「岡部家」

お殿様の宿泊する御本陣は、格式のある家しか務めることができないため、「岡部家」が以下に格式ある家だったかがわかりますね

十村制度とは?加賀藩が誇る農政システム

「十村約(とむらやく)」とは、加賀藩独自のシステムで、まぁ他の藩で云うところの大庄屋と代官所を合せたような役職です

農村支配を円滑に行うための制度で、複数の村(通常10以上)を束ねて管理・監督する「地方百姓支配の要職」

藩からの命令を村々に伝達・実行し、農政の管理や年貢の徴収、災害時の対応など、地域統治の中心的な存在でした

十村役の主な職務は、

  • 年貢の徴収管理:各村から年貢を徴収し、それを藩に納める
  • 農政・農村統治:「改作法」という農政制度下で、農作物の作付け・生産管理や農村政策の現地執行を行う
  • 庄屋の監督・指導:自領内の庄屋(村代表)を指揮し、複数の村を統括
  • 治安維持・一揆監視:農民一揆などが発生しないよう、村落の動向を監視・抑える役割もあった
  • 藩主巡行時の本陣提供:格式が高く、幕末には加賀藩主前田斎泰の能登巡見時に宿泊本陣も務めた

というなかなかに大変な役職で、単なる農民のまとめ役だけにとどまらず、領民の暮らしを守る秩序維持、地域行政のサポートと、さらに藩との掛橋を担うなどかなり重要な役割でした

「岡部家」は代々この「十村役」を務め、藩からの信頼も厚かったことがわかりますね

ちなみに、同じ能登・宝達志水町には「岡部家」と同じく加賀藩十村役を務めた「喜多家」もあります

車で10分ちょっとの距離なので、ぜひ「岡部家」と一緒に「喜多家」も訪れてみるといいですよ

加賀藩独自の農政制度・十村役ができた経緯

加賀藩に「十村役」が出来たのは、加賀藩主・前田利家が、織田信長の命により一向一揆を鎮圧したため、労働人口が減少し、江戸時代になっても年貢の徴収が捗らなかったんですね

さらには加賀藩は百万石を超える外様大名だったため、幕府から何度も普請や軍役を課せされ支出は増大

そこでさらに年貢を取り立てようとするも、一向一揆の弾圧で父祖を殺された農民の怒りは増大し決死のサボタージュや逃散を招く悪循環

かといってこれ以上強く取り立てようとして農民に一揆でも起こされたら幕府に減封あるいはお家取り潰しの口実を与えてしまいます

他にも様々な要因がありますが、いかに円滑に年貢を徴収するかとなったときに、3代藩主・前田利常は、地方の有力農民を「十村」として登用し、いわば現場監督(村役人の上位的存在)として徴税や農政指導にあたらせたのです

農民からの年貢の徴収を農民の中で担わせることで、現場の実情に合った管理と負担の分散を図ることができたんですね

この体制を整備・発展させできたのが「十村役」です

江戸時代へタイムスリップ!岡部家を散策

茅葺き屋根が目をひく岡部家

現在も残る「岡部家」住宅は、元文元年(1736年)に上棟されたもので、茅葺き(麦藁・稲藁・茅による三重構造)入母屋造りの重厚な建造物が特徴

建物内部には「武者隠し」の天井、いくつもの格子戸のからくり、格式ある本陣間などがあります

外から見た岡部家は、屋敷を取り囲む立派な門に、宝達山を背にして建つ邸宅は威厳がありますね

お屋敷向かって右側の門から中へとお邪魔します

受付を過ぎ、左へと進むと立派なお屋敷が目の前に!

格子戸の向こう側が大広間ですね

こちらが岡部家の平面図です

真ん中の扉のような場所が「式台」ですね

「式台」は、身分の高い人、お殿様とか、だけが出入りできる玄関です

そもそも「式台」時代、武家かそれに相当する家格のある家しか持つことはできませんでした

ちなみに広間に面した格子戸ですが、外からは中が見えづらいのですが、中からは外がよく見えるからくり格子になってます

ぜひ実際に来て中からと外からと見比べてみてください

岡部家屋敷内へは、左側へぐるっと回って、お台所の方、勝手口からお邪魔しますよ

囲炉裏

岡部家お屋敷にお邪魔すると立派な囲炉裏が出迎えてくれます

茅葺き屋根といえば囲炉裏はセットですね

囲炉裏に火をくべ、燻すことによって茅葺き屋根の防虫防カビ効果になります

この写真ではわかりにくいですが、見上げると梁や屋根が燻されてるのがよくわかりますよ

囲炉裏の灰も真っ白で綺麗ですね

お台所の土間で靴を脱いでお邪魔します

前田のお殿様の書状もある資料展示

お台所の左側のお部屋には、加賀藩主前田家のお殿様からの書状や徳川家より前田家へお輿入れした珠姫様が愛用した雛御膳などが展示されています

利家、利長、利常と前田家3代藩主の書状が展示されています

御三方の書を見比べてみるのも面白いですよ

実に見事な打掛も展示されています

こちら実は加賀藩内だけにみられる衣紋に飾紋をつけたもの

まぁ写真では反射してよくわからないですね

ぜひ直接ご覧になっていただければと!

式台の間ち武者隠しの天井

こちらはお殿様が直接おはいりになる「式台の間」

壁は紅殻の赤!

そして正面の上の方に障子がありますね

「式台の間」の隣の「四畳の間」だけ他と比べて天井が低いんですね

実は人が隠れられるスペースになっていて、武者?忍び?が待機して四六時中お殿様を守っていたのです!

加賀お殿様がお泊まりになった部屋

そして!こちらが岡部家の奥座敷、加賀お殿様がお泊まりになったお部屋です!

さすがに奥座敷は立ち入れません

立て札には、
「嘉永六年四月二十二日 前田家十三代藩主斉泰が能登巡視の時に本陣として御泊りになった部屋」
と書かれています

床の間に飾られていた掛け軸

岡部七左衛門像らしい、後ろにいるのは七福神の恵比寿さまと大黒天様かな

前田家から拝領した矢屏風

奥座敷には加賀藩主前田家のお殿様から拝領したという「矢屏風」もあります

その名の通り矢でできた屏風「矢屏風」

初めてみたのですが、めっちゃおっしゃれ〜ですよね!

まぁぶっちゃけ目隠しとしての役割はほぼありませんが、すごい素敵

かなり珍しいですよね、矢でできた屏風なんて

これはぜひ直接訪れ近くで見ていただきたい

回泉式庭園

岡部家の奥座敷の向こうには回泉式庭園が広がります

能登の駒造」という有名な庭師によるものらしく池泉観賞式の庭園ですが、保全のため水は流れていないそうです

奥の方には洞窟らしきものもありました

他にも桃や鶴の「釘隠し」があったり、屋根には七福神がいたりと見所がめちゃくちゃいっぱいありますよ♪

岡部家は週末のみ開館

能登の「岡部家」は、能登半島地震・豪雨災害の影響で現在は週末土日のみ開館しています

そしてなぜか入場料が無料になっています

以前は確か入館料500円だったのですが、能登半島地震で、壁や塀が崩落した箇所もあるため無料で開放しているそうです

……

いやいやいや!

だからこそ!入館料とりましょうよ!って思うんですけどねぇ

だって補修保全にもお金がかかるし、スタッフさんも常駐しているため人件費もかかるでしょうし

なぜ、無料……?

お金とっていいんですよ?

とりあえず能登でご飯食べたり買い物したりしてくけど、でも、ねぇ

岡部家の敷地内にある蔵の壁は地震で崩落したそうです

いやこれ直すのお金かかるよ?

すぐにも入館料復活していいんですよ?

さとふる:令和6年能登半島地震 被災地応援お礼品特集

羽生くんの石川県応援企画ポスターもあります

「岡部家」には現在、プロフィギュアスケーター・羽生結弦選手の石川県応援企画ポスターも展示されています

まぁ今回これを見るためにお邪魔したといっても過言ではないのですが

羽生くんのポスターは2026年3月31日まで展示されています

能登・加賀藩十村役「岡部家」にある羽生結弦・石川県応援企画ポスターはお座敷に飾られています 羽生結弦選手の石川県能登復興応援企画スタート!等身大パネルやポスターが石川県内各地に登場!

能登の自然と歴史を伝える岡部家

能登・宝達志水町にある「岡部家」は、加賀藩独自の「十村役」を務めた名家

能登長閑な田園風景の中に佇む「岡部家」では、江戸時代から続く歴史や資料、当時の人々の生活ぶりを今に伝えてくれます

江戸時代の空気に触れることができる「岡部家」、歴史好き、ちょっとディープな能登旅をしたい人におすすめです

加賀藩十村役・岡部家の基本情報とアクセス

名称岡部家(石川県指定有形文化財)
所在地〒929-1413 石川県羽咋郡宝達志水町荻谷ニ42番地
開館日毎週 土曜日・日曜日(年末年始を除く)
開館時間[3月~11月]9:00~16:45(最終入館16:00まで)
[12月~2月]9:00~15:45(最終入館15:00まで)
入館料無料
アクセス(公共)金沢駅からIRいしかわ鉄道「敷浪駅」から徒歩約25分(片道750円)
アクセス(車)金沢駅からのと里山海道「今浜」インターから約10分(約45分)
駐車場
お問合せ宝達志水町埋蔵文化財センター
TEL:0767-28-5180
URLhttps://www.hodatsushimizu.jp/kanko/kanko/3/4/architecture/1388.html

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