【奈良】三ツ鳥居のある「桧原神社」ここは宮中の外で初めて天照大神が祀られた『元伊勢』の地

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奈良大神神社摂社・桧原神社大神神社から山の辺の道をひた歩き、ようやく到着「桧原神社」。

うん、なかなかの山道でしたが、それでも来た甲斐があったかな。

大神神社では直接みることのできなかった『三ツ鳥居(三輪鳥居)』がありました!

桧原神社は天照大神が初めて祀られた場所

奈良大神神社摂社・桧原神社

大神神社から、かなりガチの山道を約20分ひた歩き、ようやく見えた「桧原神社」!

山の辺の道から来ると、ちょうど境内の横側に出るので脇をぐるっと回って正面へ。

奈良大神神社摂社・桧原神社

ついに到着「桧原神社」。

ここも鳥居は注連鳥居なんですね。

 

桧原神社は大神神社の摂社で、最初の『元伊勢』の地と言われています。

桧原神社の御由緒

奈良大神神社摂社・桧原神社

いきなり『元伊勢』とか言われても、え、いやいやここ奈良だし。伊勢じゃないよってなって、一体なんのこっちゃいですよね。

 

社伝によると、

第十代崇神天皇の御代、それまで皇居で祀られていた「天照大御神」を皇女豊鍬入姫命に託しここ桧原の地(倭笠縫邑)に遷しお祀りしたのが始まりです。

その後、大神様は第十一代垂仁天皇二五年に永久の宮居を求め各地を巡幸され、最後に伊勢五十鈴川の上流に御鎮まり、これが伊勢の神宮(内宮)の創祀と云われる

とのことです。

 

もちょっと噛み砕くと、

崇神天皇の御代に疫病が流行りまして、その原因は大物主大神の祟りなんだとか。

祟りを鎮めるために祀りなおす。結果、疫病は治るんだけど、今度は、きちんと祀りなおした結果、大物主の力が強くなったので、天照大神の力と反発を起こしてしまった。

なので御引越しがしたいと言い出した天照大神。

じゃぁ、ということで崇神天皇の娘、皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に八咫の鏡を託して天照大神の住処を探す旅に出したんですね。

 

そして倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)という場所に、「磯城神籬(しきひもろぎ)」という、神様をお祀りする宮?を立てて天照大神をお祀りします。

つまり初めて宮中の外にアマテラスが祀られた場所ということになります。

 

その後、崇神天皇の次の垂仁天皇の皇女・倭姫命が後を継いで、天照大御神を祀るのにふさわしい場所を求めて、様々な地を転々として、ようやく伊勢の地にたどり着くわけです。

この時代の皇女も大変ですね。

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天照大神は伊勢神宮に御遷座されたわけですが、しばらく伊勢の前に、祀られていた場所であるということから『元伊勢』という風にも言われるわけですね。

 

一応、大神神社の摂社ではあるけれども、神蹟を尊崇し、桧原神社として引き続き天照大御神を主祭神として祀ってきたということですね。

 

あ、今さらですが、桧原神社の御祭神は

  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

配神として天照の両親

  • 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
  • 伊弉冉尊(いざなみのみこと)

も一緒に祀られています。

桧原神社も本殿や拝殿がない

奈良大神神社摂社・桧原神社

桧原神社も、大神神社と同じく、三輪山を御神体としているので本殿も拝殿もないのです。

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見切れてしまってるけど、写真の左下に手水舎があります。

手水舎の横にロープで囲われた神域のような四角い場所があるのですが、払所のようです。

神職の方がそこでもお参りしてました。

境内にはボランティガイドの方がいて、色々教えてくれました。

先にそちらでもお参りしておくといいそうですよ。

桧原神社の三ツ鳥居

奈良大神神社摂社・桧原神社

手水舎と払所で心身を清め、階段を上った先に見えてきたのは「三ツ鳥居」!

明神型というまぁわりとよくみる形の鳥居を3つ組み合わせたような形の鳥居。

大神神社の拝殿にあるのも「三ツ鳥居」。

珍しい形なので「三輪鳥居」とも呼ばれてます。

 

そしてここにも大神神社と同じく、自分自身を祓い清めるための、神主さんが持ってる祓棒がおいてありました。

この祓棒、大幣・大麻(おおぬさ)とか小麻(こぬさ)というそうです。

奈良大神神社摂社・桧原神社

本殿も拝殿もなくて鳥居だけというのがなんとも不思議ですね。

豊鍬入姫宮

奈良大神神社摂社・桧原神社

桧原神社の三ツ鳥居の横には、この地に天照大御神をお祭りした豊鍬入姫命を祀った、「豊鍬入姫宮」もありました。

ここは昭和61年11月5日、に新たに建てられたそうです。

神宮から譲り受けた古材で立て直した三ツ鳥居

奈良大神神社摂社・桧原神社

桧原神社は、寛政年間の台風で大きな被害を受けてほぼ廃墟と化してしまったらしい。

ただ祭礼は続いていたらしく、昭和40年に再建されたそうです。

それからまた時が流れて、痛みが激しくなったため再び三ツ鳥居を立て直したんだそう。

 

その時に使われたのが、第62回神宮式年遷宮による殿舎撤去材の中から、倭姫宮の参道鳥居の古材を譲り受けたものなんだそう。

なるほど、倭姫宮のものなら、元伊勢の桧原神社の鳥居を立て直すのにぴったりですね。

 

確かに改めてみると、まるで建てたばかりのように美しいですね、三ツ鳥居。

二上山に夕日が沈む絶景ポイント

奈良大神神社摂社・桧原神社

これまたボランティアガイドの方に教えてもらったのですが、ここ桧原神社は夕日の絶景ポイントでもあるのです。

ちょうど注連鳥居の向こうに見えるのラクダのコブみたいなのが二上山。

 

春分と秋分の頃、夕日がこのコブの間に沈んでいくんですって!

参道のまっすぐ向こうに沈むので、それは素晴らしい絶景なんだとか。

時期になるとたくさんの人が写真を撮りに来るそうです。

ガイドさん情報ですが。

 

絶景見てみたいけど、夕方山の辺の道を歩くのはしんどいなーと思ったら、車でこれるみたいです。

桧原神社の参道の先に駐車場もありました。

 

ちなみに桧原神社のある地は、万葉の昔から眺望の美しさで有名だったそうですよ。

万葉集にも「三輪の檜原」と数多くの歌が詠まれたそうです。

 

箸墓古墳が見える台地

奈良大神神社摂社・桧原神社

注連鳥居を降りたすぐ横には、軽食が食べれる休処や、トイレがあります。

ガイドさんに、この参道をしばらく進んだ先に、両脇に池のある農道があって、そこから卑弥呼の墓かもしれないと言われている箸墓古墳が見えるよと教えてもらいました。

歩いて5分ほどということなので、早速行ってみることに。

奈良大神神社摂社・桧原神社

5分と言いつつもまぁまぁ歩きます。

しばらくいくと右手に池を発見。

これかな?と行ってみると、

奈良大神神社摂社・桧原神社

山側にも池。

奈良大神神社摂社・桧原神社・箸墓古墳

そして反対側にも池。

池の間の道、確かにここですね。

 

ちょうど正面に見える、こんもりとした小高い山が「箸墓古墳」かな。

奈良大神神社摂社・桧原神社・箸墓古墳

アップにしてみた。

うん、きっとこれが箸墓古墳ですね!

箸墓古墳は、最近何かと話題の仁徳天皇陵と同じ前方後円墳です。

 

さすがに今回古墳めぐりまではいけないので、そのうち古墳めぐりも行ってみたいな。

でもこの辺古墳だらけなんだよな。

 

桧原神社の場所

奈良大神神社摂社・桧原神社

桧原神社は三輪山麓の山裾にあります。

ほぼほぼ正面に箸墓古墳がありますね。

〒633-0001  奈良県桜井市三輪1422

 

桧原神社へは車でも行けるそうですが、道がかなり細いみたいです。

境内には社務所もあるので、御朱印もいただけますよ。 

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